つい基地

長い文章を書くための場所です。うそも本当もあるので話半分で読んでください。

正解のこと

正解が好きです。

それは別に割り切れなくてもいいし、複数あってもいいし、解なしでもおおよその値でもいいんですけど、正解という言葉というか、概念が好きです。
好きな理由はあんまりはっきりしていなくて、小さい頃に公文式の算数をバリバリやっていたからかもしれませんし、はっきりと終着点のある物事を好む性格からかもしれません。

でも、今から書く正解についてのことは、数学的な話ではありません。もっと個人的なものの話です。



私が正解という言葉を使うとき、それは「自分にしっくりくるもの」に触れたときです。
本当に数学的でもないし、なんならかなり主観的で漠然としているのですが、それでも私はそれらを正解と呼んでいます。
たとえば、白くて静かで生活感のない住居の画像を見たとき、たゆたうような気分になる小説を読んだとき、穏やかで少しかなしい曲を聴いたとき、まぶしく光る冬の星を眺めたときなどです。

これは「好き」とはニュアンスが少し違っていて、どちらかというと「理想」の方が近いです。あと、なんとなく神経質そうなものが多いかもしれません。


私が正解と呼んでいるものは、実は物事だけではありません。
私の顔見知りの中に、ひとりだけ、「正解の人」がいます。
(何度も書きますが主観です。好きな人会いたい人はめちゃくちゃいます)

正解の人は本当に正解します。
半年に一度くらいしか会えないのですが、それでも忘れられないくらい本当に本当に、正解するのです。
その人についてはたくさんの正解的なエピソードがあって、それもあって私はその人がとても好きなのです。



これは本人には言っていないし、ただの夢想なのですが、いつか、正解の人と一緒に長い旅をしてみたいなと考えています。
だって、生きてきてこんなにしっくりくる人と出会えることって、そうそうないじゃないですか。
この文章では便宜上正解の人と書いていますが、むしろ、話をしているだけで私の正解という縛りそのものを解いてくれるような、そういう気持ちになる人なのです。

今の私は愚かなのでその人を「私の思う正解」に当てはめてしまいそうだから、本当に誘うことはないと思います。
でもいつか、ちゃんとそういう感情を乗りこなせるようになって、自分自身に対して正解だと思えたときには、その人を誘って旅をしたいです。

旅がどんなに不正解ばかりになったとしても、ふたりで答え合わせをすること自体が正解で、とても楽しいことだと私は思うのです。




おわり

友達がいないこと

私には友達がいません。


こう言うと、大体の人は「そんなはずないだろう」と思うことでしょう。私自身も、顔を合わせた友人に「友達がいないんだよね」と言われると「私は友達じゃないのか〜い」と返しそうになります。
そういう時って大概は、友達のことを忘れちゃうくらい落ち込んでるだけだから、言われてもあんまり気にしない方がいいのですが。
それはともかく。

私には友達がいません。本当に。

この時、友達を「電話などで気軽に相談できる人」とする。します。今回はこの前提で書いていきますからね。

この場合だと、私は生まれてから一度も友達がいないことになります。本当の本当に。

四半世紀生きてきて友達の1つも作れないのかといった感じですが、小学生の頃からグループに対する疎外感があったので、多分元々ひとりぼっちの気質があるんだろうなと思います。実際、ひとりぼっちは割と好きです。人の顔色を気にしがちなので、人といないと気楽に気ままに人生を過ごせるという利点は確かにあります。


でも、友達がいないことで時々めちゃくちゃ辛くなるときもあります。それはたとえばインターネットでつらい体験をした人の記事を読んだときだったりします。
記事は、とてもつらい目にあって、苦しくて死にそうになっていました、という出だしで始まります。
私は読みながら、大変な事態、あるいは時代だなと考えます。
さてどうなる、といったところで、記事はこう続きます。
「友達に相談したら、『そんなのおかしいよ』って言ってくれて、やっと目が覚めました」
えっ。

書き手には相談できる友達がいました。その人の助言で、彼(彼女)は死の縁から脱して生き残ります。
しかし、私はもうこの辺りで完全に置いてきぼりをくらっています。つらいことを言える友達がいるのって、もしかしたら当たり前なのかな、と思い始めます。
それから、「もし自分が似たようなつらい目にあったら、誰にも言えなくて目が覚めないまま苦しくて死ぬんだろうな」と考えます。
バッドエンドですね。ウケます。


と、ここまで書いてみましたが、本当のところは私にもよくわかっています。
こちらから電話をしたり、細かく連絡を取れば相談に乗ってくれる人は多分、きっといること。ただ、私がそれを自分からしないから、だから友達がいないだけだということ。
(本当にひとりもいなかったら、逆に笑えるのでそれはそれでオッケーです)

ここからは言い訳ですが、私は人と文章のやり取りをしたり電話をしようとすると拒否反応がでることがあります。具体的にはおなかが痛くなったり汗をかいたりします。
適当にやれればいいのですが、本当に適当にやると大体後で後悔することになります。
後悔を何度か経験したため、「失敗したらどうしよう」という緊張が生まれて、中々手が動かないのです。

しかし、こういうのは慣れ、とのことなので、もっとちゃんと自分からコミットしていかないといけませんね。筆不精とか言ってないで、早く丁寧に対応していかないといけないでしょう。

前述の通り、私はひとりぼっちが好きです。
だけど本当は、人といるのもめちゃくちゃ好きなのです。これも本当です。


また頑張ることがひとつ増えました。この手のは治りが遅いので、2年くらいでなんとかなるよう努めていきます。よろしくお願いします。



そういえば最近は、新しい趣味のようなものを始めました。目に見える効果があって、とても楽しいです。いつかブログに書いてみようと思います。



おわり

明けたこと

明けましておめでとうございます。
遅くなりましたが今年もよろしくお願いします。



今年の方針ですが、新しい友達を、できれば会って話せる友達を作りたいです。
コミュニケーションが好きなのに人付き合いが苦手だったので、今までずっと、正解を探して顔色を伺うような友達づくりばかりしてきました。
でも最近は、自分の意志を少しだけ表せるようになってきたので、新しく人と仲良くなって友達になれればなと思います。
小学校からずっとペアを作れなくて、おひとり様給食とかいう悲惨極まりないイベントをやらかして、それからもグループを転々とする放浪者みたいな人付き合いをしてきたのでやや不安ですが、どうせ死ぬときはひとり、恥はかき捨てです。


また、制作物など自分のことをもっと表明したいと思います。
昔から自主制作物や役者の能力を褒められたことが殆どなく(出身大学を思うと申し訳ない気持ちになります)、作品が入選たときすら駄目出しされる最悪な世界だったので、世の中は私の制作物が大嫌いなんだろうなとずっとクヨクヨしてました。
(これは褒め言葉をきちんと受け取れない私も悪いのですが)
でも世の中とは別に、私は制作したり声を出すことが好きなので、やっていこうと思います。努めます。



以下、具体的目標です。
私は目標を立てるのが好きなくせに忘れるので、自分用に書きます。

・引っ越す
・本を読む(映画も見れたら見る)
・現職について見直し、転職を検討する
・体を鍛える
・人のいるところに出る
・ギターで1曲以上弾けるようにする
・早寝早起き よい食事
・英語学習に手を出す
・ブログをちゃんと書く
・愛をきちんと渡せるようになる


なんというか、節目の年なので目標がかなり強欲です。
でもまぁ、できるんじゃないかな、多分。トラスト・ミー。



おわり

ついき占い(2017年 年末)

私は昔、友人に「占い師みたいな名前してるね」と言われたことがあります。


言われた瞬間はなんだそれ〜と思ったけど、私の名前には星という字が使われているので、確かになんというか、星占いが得意そうな字面をしています。読み方がわかりにくいのも、なんだかそれっぽいですし。
名前の感想として、抜群のセンスを感じました。

その「占い師みたい」という感想は、心の中の、すぐ引き出せるところに大体置いてあります。
久しぶりにそれを出してみたところ、じゃあ実際に占う側になってみようか、という気持ちになったので、ささやかながら占いをすることにしました。

年末の師走を駆ける人に向けて、なにか助力になればと思います。
よろしくお願いします。




0〜9の10個の数字のうち、1つを思い浮かべてください。
ぱっと思い浮かんだ数字に書かれた言葉が、今日から年末までのあなたに送る言葉です。



0
別に年末だからって何かしないといけないわけではないので、年始のハレに向けて実直にケの日を過ごすのもよいと思います。ラッキーアイテムは食事。


1
来年に向けて大至急癒やしを集めてみてはどうでしょう。癒やされる必要がない人は必要な時のために蓄えておきましょう。ラッキーアイテムはフワフワ。


2
いつも立ってる人は座って、いつも座ってる人は立つのはどうでしょう。Y軸が変わるので、多少の寒暖差が生まれます。ラッキーアイテムはものさし。


3
年末は年越しなど夜がアツい時期です。夜と仲良くしてみましょう。寝るもよし、無理に寝なくてもよし。自由です。ラッキーアイテムは目のお手入れグッズ。


4
今年はいつか終わりますが、また始まるので大丈夫です。大縄は引っかかってもまた回るので、あとはいつ飛び始めるかです。ラッキーアイテムは四角いもの。


5
ここ2週間でささやかな習慣を取り入れておくと、新年のあなたは「それが習慣づいた人」になっています。すごい。ラッキーアイテムはおしゃれな靴。


6
年末までずっといなくなるのはまずいですが、1日のうち少しの間だけ雲隠れするのはありかもしれません。ラッキーアイテムは大きい飴ちゃん。


7
最高の年末とは一体?掃除が完璧に終わること?仲の良い人と過ごすこと?最高の年末PDCAサイクルを回しませんか。ラッキーアイテムは人生ゲーム。


8
忘年会で忘年する前に、今年あった忘れたくないことを思い出して、ちょっと磨いて、陰干してください。来年使います。ラッキーアイテムはハンカチ。


9
年始から始めよう、は大体3日坊主になりがちなので、年末から助走として始めてみるのはどうでしょうか。ラッキーアイテムは新しい歯ブラシ。





以上です。
私は別に霊能者などではないので、クッキーのないフォーチュンクッキーのようなものと思ってもらえれば大丈夫です。
当たる当たらないという内容ではないので占いかどうかもよくわからないのですが、私は楽しかったです。

それでは、良い年末を。


おわり

必死にやること

先日12月2日に誕生日を迎え、また1つ大きくなりました。
幸いなことに、何人もの方からおめでとうの言葉をいただきました。本当に嬉しかったです。
ありがとうございます。

この年の目標は、やるかやらないか迷ったら考える前にとにかく必死にやる、ということです。まだ大枠しかないので、今月中に具体性を詰めていきます。
あと、油ものも引き続き控えます。健康診断の結果で、中性脂肪の値がめちゃくちゃ下がったのがおもしろかったので。


思えば、「必死でやります」というのは目標に使うにはあまりにも漠然とした言葉です。だけど私がこの言葉を入れているのは、それが、私がこれから生きていくにあたってかなり大事な要素となる感じがするからです。

4年前、何人かと行ったカラオケで好きな曲をガチで歌ったところ、うちひとりに「全力だね〜(笑)」と言われてしまったことがありました。
私は言葉に対する防御力が全然ないので、この「(笑)」からダメージを受けてしまい、それからその人のいるカラオケでは、場のノリに合わせて無難な曲を選び、全力に思われないくらいの歌い方をする羽目になってしまいました。
これは、全然楽しくないです。

そういうものがたくさんたくさん重なって、性別や見た目やキャラ的に、私は必死で一生懸命にガチでやることは駄目なのかな〜と思ってへこむことが多くなりました。
それが行動にも出てしまうことも、多々ありました。

そんな感じでもやもやしていたのですが、昨日、本棚の整理をしていたら、小学生の頃道徳の授業でもらった「クラスメイトが書くあなたのいいところ」という趣旨の手紙を見つけました。
中身を読んでみると、書いてくれた6人中4人は「あなたはレクなどでとても一生懸命に頑張っています」といった内容のことが書いてありました。
少なくとも7歳のときから私は一生懸命、というか必死な人間のようでした。

そう考えると、好きな曲を歌って「全力だね〜(笑)」と言われたりしたくらいでへこんでいるのはおかしな話です。
幼少期からこんなんなんだぞ、今更笑われたくらいで生き方変えられるかよ!ということです。
三つ子の魂百までと言いますし、必死でやる、ということは私の人生を通して恒久的に行われることなのでしょう、おそらく。


さて、ここまでの四半世紀、なんとか生き延びることができました。ここからもなんとか、笑われるのを笑うくらい必死になにかをできるように努めていきます。
(それは、勇気を出して言いたいことを言えるようになることや、いちいち傷つかないことや、足を踏み出すとか、そういうことです)

引き続き、よろしくお願いします。


そういえば、ブログのカウンターを見ると、たまに見に来てくれる人がいるみたいでとても嬉しいです。基本的に「人は私に興味を持たない」というスタンスで考えていたので、誰かに読んでもらえているというのはなんというか、驚きです。
ありがとうございます。
見てる人がいるから、というわけではありませんが、今後は自分自身以外のことも書きたいなと思っています。


おわり

話を書くこと

文章を書くことが好きです。
こういうことをTwitterに書くと怒られるので内緒なのですが、本当は絵を描くことと同じくらい好きだし、なんなら文章を書くことの方がよっぽど自信を持って行えます。
描いた絵は見返すたび恥ずかしくなるけど、書いた文章は何度も読み返して、おもしろいな〜となることが多いです(たまに恥ずかしいこともあります)。


これは、私が書くことについてよく覚えている出来事の話です。

高校の頃、好きだった曲を元にちょっとした話を書いたことがありました。
私の書く話は全然物事が進まないというか、ラブも爆破もなにも起こらないことが特徴なのですが、その時書いた話もそんな感じでした。人が二人いて、ボソボソと喋りながら何か見ていたり見ていなかったりする話です。
退屈といえば退屈ですが、その時私が書きたかったものは、多分ラブや爆破ではなく「その特別な時間」だったのだと思います。

話の登場人物の片方は、当時仲の良かった子の一人を想定して書いていました。
だけど、その子をモデルにしていることがばれてしまうのがちょっと恥ずかしかったので、私は、口調や特徴を変えたキャラクターを物語に登場させました。
その子は物語の中で、口数の少ない月を見たり見なかったりしている子になりました。

それで完成後、友達に話を読んでもらって感想を聞きました。
なにも起こらないね、雰囲気がいいね、気取ってるね…。それから、「この人、なんか○○を思い起こさせるけど、モデルにしてるの?」と言われました。
話の中にその子を登場させたことが、あっさりと友人にばれてしまったのでした。
私は「いや、そんなことないよ」と答えましたが、案の定ちょっと恥ずかしくなりました。
だけど同時に、自分は文章によってそういう雰囲気や空気感を伝えることが(それなりに)できているんだな、と自分自身に感心することができました。

その頃から、私は話を書くことがとても好きになりました。
この話はそれから間もなくして消してしまったけど、読めるならもう一度読んでみたいなと思っています。もしかしたら、昔持っていた携帯電話にデータが残っているかもしれません。今度探します。


そういえば、昨日Twitterを消しました。
今の私にとってTwitterは砂場みたいなものなのですが、最近特に自由に遊べなくなってしまっていたので、一度消してから遊びやすくなるように「ならす」予定です。
これは誰かのせいではなく、私の強迫観念的な部分の問題なので、なんとか折り合いをつけてやりたい放題できるようになればいいなと思います(このあたりについてはまたいつか書く予定です)。

「たとえ何かを考えていたとしても、表現されなければ何も考えていないのと同じことだ」という言葉を最近本で読んだので、Twitterもブログも、あと話を書くこともなるべく続けていきたいです。


おわり

ブログのこと

20歳くらいの頃、調べものをしていた私は、あるひとりの女性のブログに行き当たりました。

その女性は、私にとってまったくの他人でした。年齢は25歳くらいの、都内に住むOLさんだったのだと思います。

綴られている女性の文体がよかったので、当時の私は調べものを中断して、そのブログを読み進めることにしました。
ブログでは、9月頃までは恋人とのやりとりが楽しそうに書かれていました。どこに行った、何をくれた、どんな話をした…など。
しかし、11月に少し雰囲気の違う、不安げな文章が増え始めました。
そして更新か一度止まり、翌3月には、すべてが終わったのに思い出してしまう、そういう感情が書かれていました。
そこで更新も止まっていました。

普通の女性が、自分自身に向けて書いたブログ。
そのブログのことは、なぜか時々思い出します。
というか、そもそもなんでこの話を書いたかというと、先日の夜、訳あって高いところに昇ったとき、不意にこの女性のことを思い出したからです。
きらきら光る夜景を見ながら、あの人は今(私の記憶が正しければ)30歳になっていて、ここから見えるどこかにいて、新しい恋人がいたり、結婚していたり、あるいは仕事に打ち込んでいたりしているのだなぁということを考えました。その壮大さに感激すると同時に、この女性がどうかしあわせだといいな〜と思いました。


ちなみに、私がこういった思いつきの文章を書こうと思ったのも、基本的には自分のためです。
書くことで形を与えて、頭の中にある思考の残骸みたいなものをアウトプットして整理できればな〜という考えがあります。
だからあんまり人に話したことない話が多いと思います。(元々人とそんなに話しませんが)
そういうわけです。よろしくお願いします。


おわり