近況とドライブ・マイ・カーの話
お久しぶりです。
一人暮らしを始めてちょうど半年経ち、きりがいいかなと思ったのでひとつ振り返ってみることにしました。それから最近「ドライブ・マイ・カー」を観たのでその話も書きます。
前回書いた通り、一人暮らしをしたいなぁと思ったのと、あとちょこちょことした理由から2月の頭に引越しを行い、今のおうちで暮らし始めました。
一人暮らしを始めるにあたり、いくつか目標を立てました。
環境の変化を通して自分を見直すいいきっかけになるかなと思ったからです。
また、一般的な賃貸の例に漏れず、このおうちも2年契約で借りているわけですが、ちょうどこの2年というのもうまく利用できそうだったので。
目標は、まず生活を維持できるようになることと、料理と散歩を続けること。
前回の一人暮らしは、後半生活を終わらせてしまいもうめちゃくちゃだったので、生活が終わる前に気づいて歯止めをかける練習をすることにしました。油断するとすべて捨ててセルフネグレクトをしてしまう性分を見越して、きちんと客観視し、部屋の掃除や洗濯、ゴミ捨て、清潔で過ごしやすい空間を保てるようにしています。
なんとこのために家事についての本を買いました。
真面目か?
でも本自体はとてもおもしろいのでおすすめです。
料理と散歩は実家での在宅作業中にもおこなっていたことですが、自分が食べているものは母が作っているものが多いけれど、それは本当に自分の食べたいものなのか、とか、意識していなかったけど自分は歩くのが好きなのではないか?(これは旅行で観光地に行くよりも道中歩くことの方が記憶に残っていたためそう考えた)とか、そういう身体の声を聞く?みたいな、なんかそういう…。
自分にとって好ましい状態を知るための手段として、この2つを採用しています。
半年経って振り返ってみると、うーん。5段階評価でいうと「ややできている」って感じです。
社会生活が得意ではないので仕事で忙しくなると心身共にやぶれかぶれになってしまい、今まではそこから目を覚ますのに今まで映画や美術鑑賞やライブや旅行を使っていたのですが、今はなかなか行けないので、油断すると仕事をして風呂に入って眠る機械になってしまいます。
ただ、料理はそこそこ作っているし、散歩も在宅になってからはよくしている、休日に家事を済ませることもできているので、まぁ生活はできているんじゃないでしょうか。
あと、定期的に通っている鍼治療にだいぶ助けられています。腰痛と、とある臓器の調子が悪くなりやすい可能性があることを指摘されたので(これは心当たりがあった)、そのためのフォローを治療とともにおこなっています。
優しい先生で、特に知り合いのいないこの場所で唯一といってもいいほど定期的に顔をあわせるので、通院が楽しみになっています。
人並みに寂しく、少し元気な暮らしです。うん。
それから、これは長期的な目標(自分が長期的な目標を立てるときが来るとは!と思いました)というか野望なのですが、2年後の賃貸契約更新のタイミングまでに、猫とともに暮らせるような状態にしたいと思っています。
自分の世話を自分でできるようにし、経済的にも生活的にも、猫に不自由をさせないような人間になりたいのです。
真面目か?
いや、本当に、惜しみなく愛を注げる状態になることはとてもよいことなのではないでしょうか。
他にも、制作するぞーとか、貯金するぞーとか色々フワフワありますが、いうてもう1/4過ぎているわけなので、改めて気を引き締めつつ努めていきたいです。
コミティアも、先々月8ページのちょっとした漫画冊子を描いたものの、もっとやれるだろ!みたいな気持ちもあり、もっとやりたいね……がんばろうね…。
・・・
と、いうような文章を書こうという、落ち着いた気持ちになれたきっかけが、「ドライブ・マイ・カー」でした。
ここからはその話を書きます。
映画の内容に触れるので、ネタバレ注意です。
せっかくなので、とりあえずまずは観て欲しい気持ちがあります。
そもそもドライブ・マイ・カー観ようと思った理由は、村上春樹の本が好きで原作も昔読んだことがあったことと、脚本がカンヌの賞を獲ったぞみたいなニュースを見かけたからです。その記事で、ドライブ・マイ・カーが映画化するということを初めて知り、興味を持ちました。
映画は、映画自体が久しぶりなことを抜きにしても、とてもよかったです。
原作は短編なので、3時間分として内容は大きく変わっていましたが、しかしモチーフや登場人物、何より作品テーマから村上春樹らしさを感じたのが非常に興味深かったです。
私は村上春樹の作品から、「人生は歳月と共に、あるいは突然、失われ、損なわれる。ただ、それでも生活は続いていくし、続けていかなくちゃいけない」みたいなテーマをよく受け取っていたのですが(だからダンス・ダンス・ダンスの「でも踊るしかないんだよ。音楽の続く限り」の部分がとても好きです)、それをテーマとして掲げてくれたのたのがなんというか、解釈が一致していたようで個人的に嬉しかったです。
他にも、主人公が損なったものを(少し変わった形とはいえ)持っている善良な夫妻と、損なうことにうまく適応できなかった高槻という対比的な第三者の存在、言語を入り混じらせて演劇を行うという手法、台詞一つひとつをとっても(自分の思う)村上春樹的な表現で、だから非常に馴染んだ気持ちで観られました。
また、雰囲気もすごくよかったです。
私は実写で日本の映画だと、落ち着いて観られる、話もなんかいきなり盛り上がったりしないものが好きなのですが(あと声を荒げなくて顔がうるさすぎないやつ…)、長くゆったりとしたドライブシーンや、自然な調子で淡々と進む会話など、落ち着いたカットが多く、観ているうちに段々と心が穏やかになっていきました。し、だからこそクライマックスで心情を吐露したシーンでは非常に感動しました。
以前見た「トニー滝谷」でも、原作らしい淡々とした雰囲気を映像でばっちり表現されているな〜と思いましたが、「ドライブ・マイ・カー」はよりストーリーがしっかり提示されている、というか、単純に見やすいなと思いました。
私は村上春樹の作品を読むときって、音楽を聴いているときと似ているな〜と思っていて、すごいオチがあるぜ、というよりは文章から流れる雰囲気を楽しむことが多いのですが、そういう意味でも、まるで単行本1冊分の短編を読んだときのような充足感+ストーリーとしてのおもしろさがあって、本当にいい映画体験をすることができました。
あと、バーバルとノンバーバルのコミュニケーションが入り混じってて脚本が緻密すぎるぜ、とか、劇中劇の最後、後ろから抱きしめて目の前で手話を行うのは、「私たち」の演出表現として最高なのではないか、とか、不在の父↔︎不在の娘だからこそ補えるし、本質的に補えないとか、語れることはいっぱいあるのですが、そういうことは会話で人とやりとりをして広げていきたいなと思うので、一旦ここで止めます。
昨今は友人とも会いづらく、インターネットでは(インターネットなのに!)友人があんまりできないのでどうしようもないのですが、「ドライブ・マイ・カー」の話ができる人と話がしたいです。本当に。
・・・
最後に、なんでこの映画を観て落ち着いた気持ちになれたのかを書いておきます。
不安定な時世に加え、悩みや不安も多く、それなのに多忙で自分を省みられない中で、
「人生が損なわれたとしても、ともあれ。
ともあれ、生活をやっていくしかないんだ」と、この映画を見て感じたからです。
辛かったことを認め、立ち向かい、根気強く生活をしていくことで、より穏やかに自由に暮らせるのではないかと、ゆっくりとした気持ちの中改めて思い直しました。
だから、最後のみさきが犬とともにドライブをするシーンはとても希望的でした。
2回目も観にいきたし、気になる映画がやっているときにすぐに観に行けるような時間と、心の余裕ができる自分の生活をしていきたいです。
(そしてみさきのように、私も猫と暮らし、穏やかに微笑む生活ができることを願っています)
おわり