つい基地

長い文章を書くための場所です。うそも本当もあるので話半分で読んでください。

話を書くこと

文章を書くことが好きです。
こういうことをTwitterに書くと怒られるので内緒なのですが、本当は絵を描くことと同じくらい好きだし、なんなら文章を書くことの方がよっぽど自信を持って行えます。
描いた絵は見返すたび恥ずかしくなるけど、書いた文章は何度も読み返して、おもしろいな〜となることが多いです(たまに恥ずかしいこともあります)。


これは、私が書くことについてよく覚えている出来事の話です。

高校の頃、好きだった曲を元にちょっとした話を書いたことがありました。
私の書く話は全然物事が進まないというか、ラブも爆破もなにも起こらないことが特徴なのですが、その時書いた話もそんな感じでした。人が二人いて、ボソボソと喋りながら何か見ていたり見ていなかったりする話です。
退屈といえば退屈ですが、その時私が書きたかったものは、多分ラブや爆破ではなく「その特別な時間」だったのだと思います。

話の登場人物の片方は、当時仲の良かった子の一人を想定して書いていました。
だけど、その子をモデルにしていることがばれてしまうのがちょっと恥ずかしかったので、私は、口調や特徴を変えたキャラクターを物語に登場させました。
その子は物語の中で、口数の少ない月を見たり見なかったりしている子になりました。

それで完成後、友達に話を読んでもらって感想を聞きました。
なにも起こらないね、雰囲気がいいね、気取ってるね…。それから、「この人、なんか○○を思い起こさせるけど、モデルにしてるの?」と言われました。
話の中にその子を登場させたことが、あっさりと友人にばれてしまったのでした。
私は「いや、そんなことないよ」と答えましたが、案の定ちょっと恥ずかしくなりました。
だけど同時に、自分は文章によってそういう雰囲気や空気感を伝えることが(それなりに)できているんだな、と自分自身に感心することができました。

その頃から、私は話を書くことがとても好きになりました。
この話はそれから間もなくして消してしまったけど、読めるならもう一度読んでみたいなと思っています。もしかしたら、昔持っていた携帯電話にデータが残っているかもしれません。今度探します。


そういえば、昨日Twitterを消しました。
今の私にとってTwitterは砂場みたいなものなのですが、最近特に自由に遊べなくなってしまっていたので、一度消してから遊びやすくなるように「ならす」予定です。
これは誰かのせいではなく、私の強迫観念的な部分の問題なので、なんとか折り合いをつけてやりたい放題できるようになればいいなと思います(このあたりについてはまたいつか書く予定です)。

「たとえ何かを考えていたとしても、表現されなければ何も考えていないのと同じことだ」という言葉を最近本で読んだので、Twitterもブログも、あと話を書くこともなるべく続けていきたいです。


おわり