つい基地

長い文章を書くための場所です。うそも本当もあるので話半分で読んでください。

象徴的に死んだこと

全然暗いとか悲しい話ではないのですが、私は今年夏頃、象徴的に死にました。


象徴的に死ぬというのは先日読んだ河合隼雄先生という有名な臨床心理学の先生が書いた本に載っていて、「わかる〜」となった考え方です。
自殺という肉体的な死ではなく、死ぬほどの経験をすることで、新しく心が生まれ変わるみたいな話です。
(「こころの処方箋」という本に載っています)

象徴的に死んだのは今回で2回目です。
1回目は本当に(肉体的に)死のうとしたのですが、自殺成功を10としたときに2くらいの舐めた自殺だったので別に死にませんでした。でもその時めちゃくちゃ涙が出て、それ以来なんかすごい勉強をするようになったし、独りでいることが平気になっていたので、多分あれはうまく象徴的に死ねたんだろうなぁと思っています。

今回は前回から約10年ぶりということで、結構やばかったです。後半4年くらいが本当にひどく、年間300日くらい「今日こそ死ななくちゃいけないな」というようなことを考えていました。
実際、肉体的な症状として、いつも胸の下あたりが重く息苦しかった記憶があります。
あとすごく覚えているのは、amazarashiというバンドをめちゃくちゃ聴いていたことです。それで「amazarashiを聴いている間だけは絶対に電車に飛び込まないぞ」と思うことで、なんとか本当に死なないように騙し騙しやりすごしていました。

そんな感じで生きていましたが先述の通り、今年の初めから夏頃にかけてゆっくりと、私は象徴的に死んでしまったのでした。

その時はなんというか、ある日突然すっきりとすべてが終わりました。
胸が軽くなって、周りの景色が明るくなって、すべての人に対して感じていた劣等感や怯えていた気持ちがどこかに消えたのです。
道中色々あって、たまに頭がおかしくなるという後遺症は残ったけど、基本的には毎日鼻歌を歌いながら気楽に生きられるようになりました。

生まれたてなのでまだまだわからないことだらけですが、今まで知らなかったわくわくする事をたくさん見つけたので、しばらくは死ぬことについてあまり考えないで済みそうです。良かった〜。


ただたまに思うのは、多分普通の人になるためには少なくともあと1度は象徴的に死ななければならないんだろう、ということです。
象徴的希死念慮ですね。ウケます。
多分その時まためちゃくちゃ辛くなるだろうけど、うっかり本当に死んでしまったなんてことにならないといいな〜と思います。


おわり