つい基地

長い文章を書くための場所です。うそも本当もあるので話半分で読んでください。

必死にやること

先日12月2日に誕生日を迎え、また1つ大きくなりました。
幸いなことに、何人もの方からおめでとうの言葉をいただきました。本当に嬉しかったです。
ありがとうございます。

この年の目標は、やるかやらないか迷ったら考える前にとにかく必死にやる、ということです。まだ大枠しかないので、今月中に具体性を詰めていきます。
あと、油ものも引き続き控えます。健康診断の結果で、中性脂肪の値がめちゃくちゃ下がったのがおもしろかったので。


思えば、「必死でやります」というのは目標に使うにはあまりにも漠然とした言葉です。だけど私がこの言葉を入れているのは、それが、私がこれから生きていくにあたってかなり大事な要素となる感じがするからです。

4年前、何人かと行ったカラオケで好きな曲をガチで歌ったところ、うちひとりに「全力だね〜(笑)」と言われてしまったことがありました。
私は言葉に対する防御力が全然ないので、この「(笑)」からダメージを受けてしまい、それからその人のいるカラオケでは、場のノリに合わせて無難な曲を選び、全力に思われないくらいの歌い方をする羽目になってしまいました。
これは、全然楽しくないです。

そういうものがたくさんたくさん重なって、性別や見た目やキャラ的に、私は必死で一生懸命にガチでやることは駄目なのかな〜と思ってへこむことが多くなりました。
それが行動にも出てしまうことも、多々ありました。

そんな感じでもやもやしていたのですが、昨日、本棚の整理をしていたら、小学生の頃道徳の授業でもらった「クラスメイトが書くあなたのいいところ」という趣旨の手紙を見つけました。
中身を読んでみると、書いてくれた6人中4人は「あなたはレクなどでとても一生懸命に頑張っています」といった内容のことが書いてありました。
少なくとも7歳のときから私は一生懸命、というか必死な人間のようでした。

そう考えると、好きな曲を歌って「全力だね〜(笑)」と言われたりしたくらいでへこんでいるのはおかしな話です。
幼少期からこんなんなんだぞ、今更笑われたくらいで生き方変えられるかよ!ということです。
三つ子の魂百までと言いますし、必死でやる、ということは私の人生を通して恒久的に行われることなのでしょう、おそらく。


さて、ここまでの四半世紀、なんとか生き延びることができました。ここからもなんとか、笑われるのを笑うくらい必死になにかをできるように努めていきます。
(それは、勇気を出して言いたいことを言えるようになることや、いちいち傷つかないことや、足を踏み出すとか、そういうことです)

引き続き、よろしくお願いします。


そういえば、ブログのカウンターを見ると、たまに見に来てくれる人がいるみたいでとても嬉しいです。基本的に「人は私に興味を持たない」というスタンスで考えていたので、誰かに読んでもらえているというのはなんというか、驚きです。
ありがとうございます。
見てる人がいるから、というわけではありませんが、今後は自分自身以外のことも書きたいなと思っています。


おわり